令和のカラミ群
◆カラミを見るときのご注意◆
・カラミ煉瓦群の近在では現在も生活をしている方々がおられます。敷地内へ勝手に入るのはやめましょう。
・車はポッポ汽車展示館の前に駐車してから見に行きましょう。
・静かな山間では時に話声は周囲に響きます。静かに見ましょう。
・カラミを見ようとして、空き地や林の中に入らないでください。木枝、切り株、崖、窪みなどで転倒するなどして思わぬケガをします。
・空き地、人が住んでいない家屋などの私有地に無断で入った際は、警察へ通報され、法律で罰せられる場合があります。
(上)尾小屋で最も賑わった通り、通称『尾小屋銀座』人通りの少なさから、鉱山閉山間近か閉山後か、、、、。
鉱山病院跡の石垣
亀甲カラミの上には四角いカラミ煉瓦が積まれています。煉瓦の積み上げ方法は、イギリス式、フランス式、オランダ式などがあり、ここの積み上げ方式は何式に見えますか?
積み上げ方式で、ある程度の時代が特定されるとか。
鉱山病院には医師3人、歯科医1人、看護師3人、保健師1人、助産婦2人が常勤していたと記録もあり、現代のちょっとした町の病院規模はありました。
昭和期の鉱山病院
明光寺跡の縁石
五角・四角・六角の揃い踏み。六角形をカットして五角形にしたように見えます。
履物屋跡基礎?
こちらも六角形カラミ煉瓦を五角形に加工して平な面を上にしたもの。
排水路跡
六角形と四角形の煉瓦をうまく組み合わせています。
斜面土留め擁壁群
呉服屋跡の壁
A商店地下蔵跡横壁
左手赤いものは古い消火栓です
A商店地下蔵跡
米や酒を販売していたため、品質保持のため、地下暗室に保管していたそうです。
菓子店跡階段
目を凝らすと六角形の煉瓦を加工しているのがわかります。
A家蔵 幅9.76m 高さ5.75m
蔵のカラミ壁は光が当たると輝きを増します。
店舗跡地
太平洋戦争時に造られた防空壕
幅2.55m 高さ2.5m
旧鉱山職員住宅下壁と階段
旧供給所跡から馬車道の擁壁を見上げる
供給所とは山の中の鉱山ならではの施設です。生鮮食料品以外の米、味噌、醤油、衣料、燃料などを市価より安く提供してくれます。生鮮食料品は商店、行商、定期市で買い求めるのが常でした。
鉱山操業時は壁の右下(写真右下部)に鉱石を運ぶ馬車道がありました。
無名橋(通称 鉱山橋)
(上)在りし日の鉱山橋。橋は白亜に塗られていたと伝えられていますが、太平洋戦争時には目立つことから黒色に塗られていたという話もあります。
(下)現在の様子。行政により取り壊しが決定しています。この橋は、地域振興、日本の高度経済成長を支えた尾小屋鉱山のすべてを「俺は見ていたよ」とつぶやいているようです。
橋はカラミ製ではありません。昭和16年(1941年)に鉱山事務所が建設された当時には既に存在したコンクリート製の橋です。
下には郷谷川が流れています。
旧鉱山職員役員浴場跡下の擁壁から旧尾小屋銀座を臨む
旧馬車道(現在、整備中)
以下2枚の白黒写真は往時の写真です。
上の写真の右下方向から撮影したものが下の写真です。
尾小屋鉱山資料館(旧阿手坂社宅跡地)
阿手坂とは白山市阿手(鳥越スポーツランド、旧大日スキー場)側へ抜ける道の麓にありました。そこには鉱山操業当時は阿手坂社宅と呼ばれた鉱山住宅がありました。
(上)鉱山資料館の崖にそびえるカラミ壁。北陸の鉛色の空、冬に見ると黒々と異彩をはなっています。
(下)鉱山資料館奥の公園上にそびえるカラミ壁。嘗て存在した神社跡や鉱山住宅跡がこのあたりです。
尾小屋バス停近くの蔵と土留め壁
旧尾小屋駅周辺
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